ロンドンで思うこと

イギリスへの旅行。最近では、昨年11月にロンドンを訪ねました。その目的は、ドーセットのボーンマス市で開催される国際文化セミナーに参加することと、ロンドン大学SOASに留学している友人を訪ねることでした。その友人は、慶応大学を卒業して東京の大手旅行会社に就職、企画課主任として活躍していましたが2年前にその会社を惜しまれながら退職して、以前より自身が研究したいと言っていた日本の近代史を極めるために渡英しました。

11月のロンドンは日が短く、午後4時を過ぎると一面が真っ暗になりました。オックスフォード・ストリートとリーゼント・ストリートの交差点でその友人と待ち合わせることになり、寒さの中でソーホー方面に行く人の流れを観察して驚いたのは、純粋なイギリス人と思える人をほとんど見かけないことでした。明らかにラテン系と思える顔立ちの人、ひげを蓄えた中東系の人、すぐに判るインド系にアジア系の人。まるで人種のルツボ状態です。

程なく友人がレセスタースクエア方面から現れたので、その日は夕食を共にすることにしました。友人の話では、人種の多様さは大学内でも同じで、全生徒の半分位が外国人だそうで、その半分がイギリス国内居住の外国人、残りの半分が純粋な留学生だと言っていました。街でも、地下鉄でも、居住地域でも、大学でも、外国人が多いというのは、ある意味異常な状況だと感じたことを覚えています。

ロッド・スチュワートさん

イギリスでのEU残留を問う国民投票が昨日終わり、その開票の結果イギリスのEU離脱が決定しました。それに続いて、キャメロン首相の辞任報道があり、イギリス・ショックとしてニュースが世界を駆けめぐりました。

世界株価と通貨ユーロの急落を受けて、私の父が、今後の世界経済の先行きが不安だと話しました。父は、1970年代に、英国に駐在していたことがあるので、イギリスの出来事が日本のニュースで報道される度に、その頃の話をする癖があり、今日もその頃の話を始めました。イギリスがEUの前身であるEEC(ヨーロッパ経済共同体)に加盟する前は、イギリスには失業者が多く、英国内の経済が困窮を極めたにもかかわらず、豊かな文化と、英国王室を中心とした穏やかな社会があったと懐かしがります。

父は、イギリスの古いロック・ミュージックが好きで、特に、フェイセスというバンドのボーカリストだったロッド・スチュワートが好きです。マギーメイやセイリングなど
私が聞いたこともない局名を連ねて、ギルバート・オブサリバンとかスレイドとか知らないアーチストの名前を連ねます。

1970年代はイギリスに多くの日本の若者が訪れて、夢に溢れた時代だったといいます。「成年は荒野を目指すものだ」と訳の分からないことをいう父を私は好きです。

失くしたパスポート

海外でパスポートがなくなったら大変だというお話です。

カナダのブリテイッシュ・コロンビア州、ナナイモ地区にあるマラスピナ大学に留学している山科さんがパスポートを失くして困っているとの連絡が入りました。山科さんは、本学で1年間学んで6月の学年終了後日本に帰る1週間前のことでした。

パスポートを海外で再発行してもらうのは思う以上に大変です。必要書類を揃えて自分で最寄の日本大使館または領事館に出向かなくてはいけません。戸籍抄本、または謄本、写真、紛失(または盗難)証明書が必要です。受け取りも再度自分が出頭する必要があります。再発行に必要な期間も1週間以上とのことです。

この時は、山科さんの帰国航空便を変更できない事もあり、「緊急渡航証明書」を当局から発行してもらうことになりました。これは、パスポートの代用となるもので3日間で発行されるので日本へ帰国することができます。

しかし、ここでひとつ問題が発生しました。パスポートを再発行すると、カナダの学生ビザも再申請しないといけないので、その手続きを満了するには、日本に帰国後にパスポート再発行を受けてから、さらに1ヶ月かかります。

山科さんが現地レディ・スミス警察で紛失証明を取得して、バンクーバーの日本大使館に緊急渡航証明書を申請する前の晩、失っていたパスポートが、幸運にもホームステイ先のベツドの下から発見されました。

外国では、パスポートは命の次に大事なものです。いつでも、機会があれば所在を確認してしっかり管理することが大切です。

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イギリスの今を考える

イギリスの今後のEU加盟についての国民投票が、いよいよ6月23日に行われます。

国民投票は「イギリスがEUにとどまるべきか、EUから離脱すべきか=In/ Leave」の二者択一方式の投票です。イギリスの社会を二分した白熱した議論、国民の意見に基づく投票キャンペーンが毎日のように行われています。

英国議員の意見も様々で、キャメロン首相は「留まるべき」と経済的な状況を分析して主張するものの、内閣議員のなかでも数名がイギリスのEUからの離脱を支持すると表明しています。ロンドン市長は離脱を支持、しかし産業界を代表するロンドン商工会議所は「現状を維持するべき」と表明し、こちらでも意見が対立しています。よって、国民投票の結果は予断を許しません。

私が父が、1970年代に海外在留者として仕事でイギリスに滞在していたので、父に意見を求めました。父は「あの頃は、首相がウイルソンからヒースに変わり、EECにイギリスが加盟した頃でイギリスのEEC加盟効果で貿易が拡大されて英国景気が上向いたが、ヨーロッパから移民が押し寄せるようになってロンドンが様変わりし始めた。」と話していました。

そして最後に父は「それがイギリスを良くしたのかどうかわ分からない。」と結びました。

アメリカ留学の頃-1

前のブログに書きましたが、私は大学生活を一時期をニューヨークで過ごしました。ニュヨーク大学の3年生に在学していた時期があります。「一時期在学した」というのが、日本と違うところで、アメリカでは入った大学と出る大学が違う人が半分位いて、私もその例外ではありません。(勿論、日本のように入学した大学を卒業する人も大勢います)

アメリカ人の学生は、地元の高校を出ると、高校在学中に受けた「大学進学適正テスト(SATと呼ばれる日本の大学センターテストの様な共通試験)」の結果で、高校のカウンセラーと相談して、進学先大学のレベルと専攻を決めて4年制大学に進学します。SATの結果がかんばしくない生徒やSATを受けなかった生徒は、地域にある2年制大学、コミュニテイ・カレッジ(私立の場合はジュニア・カレッジといいます)に入学します。そこで、一部の人は日本で言う専門学校のような教育を受けたり、4年制大学の3年次に編入する一般教科を学びます。コミュニティ・カレッジに進学する生徒のひとつの理由は学費が安いこと。

私も横浜市の高校を卒業してアメリカに来たときは、カリフォルニアのロサンゼルス近郊にあるシトラス・カレッジに入学しました。当時の学費は1年間5000ドルだったことを覚えています。

アメリカで多発する銃犯罪

アメリカ、フロリダ州のオーランドで、先日、イスラム教信者を名乗る男が50人を銃で殺害した事件が大々的に報道されました。オバマ大統領もバイデン副大統領と一緒に現地に出向いて犠牲者に花を手向けて冥福を祈りました。アメリカは、銃を使った事件が多発する犯罪大国です。

以前、私がアメリカのニューヨーク・シテイに留学していたころ、市内の薬局で銃による殺人事件が起きました。犯人の男は、処方箋の痛み止めが欲しいうことで、強盗殺人を犯したのです。店内にいた人も、至近距離から撃たれて、死亡しました。被害者の店員の1人は、高校生のアルバイトでした。残念なことに、その事件は未だ犯人が捕まっていません。

その2年前には、私の滞在先アパートの3ブロック先の酒屋で強盗殺人事件が発生しました。その時も、店主夫婦2名と店内にいた客2名が撃ち殺されましたが、その事件も未解決で迷宮入りになっています。この時の犯人は、レジからお金をわしづかみにして逃走したそうです。私も、時々その前を通るので、犯罪が他人事とは思えません。

アメリカは銃社会なので、こういう凶悪事件が頻繁に起きて毎日報道されていました。留学生活をアメリカで送っていた頃、とにかく毎日事件に巻き込まれないように、注意をしながら生活していたことを今でも覚えています。日本に犯罪がない訳ではありませんが、アメリカに比較すると安全な国なので幸せだと思います。